コウスケ
妻とぬるいコーヒー 〜夫婦の離婚危機を乗り越える方法〜
更新日:3月22日

美味しくない関係になってしまった僕ら夫婦がどのようにして乗り越えていったのか、実話をまとめました。
結論を先に言ってしまいます。
夫婦喧嘩をしている根本は実は全く関係ないところにあり、目先のことを改善しても関係は修復されることは難しい。でも、問題の根っこを捕まえられればびっくりするくらいに関係回復します。
ということで、離婚危機にあった当時、僕が綴っていた文章を下記に転載します。
妻とぬるいコーヒー

僕は一日一杯、いや、多分それ以上コーヒーを飲みます。コーヒーがないと毎日が始まらないと感じるし、ランチがわりにコーヒーを飲んでお腹を満たすことさえあります。もはやカフェイン中毒を自認するくらいにコーヒーが大好きなのです。
コーヒーを飲んでいてふと、妻との関係はコーヒーに似ているんじゃないか、と閃きました。基本は好き、好きなんだけど、ぬるくなると美味しくない。逆に熱すぎると、香りも味もわからない。
付き合い始め、新婚ほやほやの時って、沸騰したお湯で注いだような、熱々のコーヒーだったのだろうと思います。それが1年経ち、5年経ち、10年も経つと、様々な外的要因があって、もう熱々ではいられない。ぬるくなって美味しくないなって感じることが増えてくるのです。
崩壊寸前のマグカップのような夫婦関係

「ぬるいコーヒーになったな」と気づいてしまったのが2018年12月のことでした。ケンカのきっかけは些細なことなんですが、その些細なことが積もり積もって勃発してしまうのが夫婦喧嘩だと思います。
そして一度表面化させてしまうと、修復はそう簡単にいきません。なぜなら、これまでの5年の結婚生活の間に、小手先の修復を繰り返してコーヒーカップはつぎはぎ状態になってしまっているから。
きっと小手先ではダメなんだと思ったものの、次に打つ手立てが見つからない。
みなさんはこういうときにどうしているんでしょうか?
とりあえず仕事に逃げる?
仲がいい友人や同僚にお酒でも飲みながら愚痴を聞いてもらう?
いやいや、どちらも何の解決にもならないなと感じました。
夫婦関係の相談をできる相手はなかなかいない

「男性は自己完結型である」と何かの本に書いてあったのですが、人に頼ることが非常に苦手な僕はより「自己完結型」なのだろうと思います。
だからこそ、本当に思い悩んだとき、相談先が思い当たらないのです。
それでも仕事の悩みなら、ほうぼうで活躍している諸先輩方がいる。しかし、こと家庭の悩みや夫婦関係の悩みとなると、なおさら相談先が難しいなと感じました。
悩んでいると、冷戦真っ最中の妻が「園長に相談したら?」と言い放ちました。園長というのは子どもが通っていた幼稚園の園長先生で、80歳を超えた人生経験豊かなおじいちゃん。
言うこと為すことなんでも喧嘩の火種になっていたときでしたが、「ああ、その手があったか」と素直に受け入れることができ、僕は、「じゃあ行く。今すぐ行く」と言って冬休み中の幼稚園に父一人、園長に会いに行ったのでした。
誰かに相談すると起こる情報の化学反応

人に相談するというのは難しいもので、僕は何をどこから話して良いのやら悩みを相談するための悩みが生まれるというよくわからない状態に陥ります。
それでもえいやっと話しはじめると、マイナスばかり考えていた心が少し前に進んだような気がしました。
何事も、相談してすぐに何かが好転するとか、解決するなんてことはないと思っています。けれども、人に話すことで自分の考えがまとまったり、解決のヒントになるものが閃いたりするものです。
「言っても大丈夫かな」とか「どう思われるかな」と不安にならずに、センシティブな内容を相談できる相手がいるというのは本当に幸せなことだと感じました。
園長に相談した後、僕は「実家に帰ろう」と思いました。園長に「別居しなさい」とか「別れなさい」とか言われたわけではありません。
妻とはいえ、元々は別の家庭で育った他人だったのであって、違いがあって当然であるということに園長との話の中で改めて気づかされたのです。
「わかっていると思っていた」「普通そうでしょ?」なんてことも本当はあり得ないことなのだとわかると、すれ違いの原因も少し理解できるというもの。
相手のことよりも、まずは自分の幼少期に育った環境がどうだったのか知りたい、と思い、正月3日に福島県にある実家に飛び立ちました。
すべては導かれるままに

妻も子どもも連れずに実家に帰ったのは本当に久しぶりで、夫でも父でもない、一人の子どもに戻れたような気がしました。
当初の目的であった両親に幼少期のことを聞くなど、重要な時間を過ごすことができ、やっぱりこの家、この家族で育ったことは自分自身のコアとなる部分を形作っているんだなぁと実感しました。
実家に帰って、一つ事件がありました。
実家の近くに新しくできたコワーキングスペースに伺って、この場を経営している友人と話していると、地元で最も会いたくない男と遭遇してしまったのです。
彼は僕が以前経営に関わっていた団体の元副代表で、北海道に移住する際にすったもんだあった人でした。
その団体は、2017年に当時の代表の横領が明らかになり、新聞を賑わせ、地元では大騒ぎになりました。初期メンバーであった僕も裁判に巻き込まれるところでした。
僕が団体を離れてから5年半。そんなこんなで彼とは一度もコンタクトを取っていませんでした。ほぼ絶縁状態だった男がまさか目の前に!
さすがに無視するわけにもいかず、
「ご無沙汰しています」
と深々とご挨拶をしました。
すると思いの外、
「おー!なんだ、久しぶり。コーヒーでも飲むか?」
と、あっけらかんと挨拶を返してきたのです。
ものはついでだ、と思い2017年の事件についてさらりと話題を振ってみました。彼も一人で大変な事後処理を行っていて、相当色々な思いを溜め込んでいたのかもしれません。ある程度事情のわかる僕に懇々と、ことのあらましを説明してくれました。
彼が語ってくれたのは僕が知りたくてずっとモヤモヤしていた情報の全てでした。
無意識下の澱みを昇華する

話を聞いた後、僕は心に爽快さを感じました。
2013年に北海道に移住してからずっと、心の隅でひっかかっていて昇華できなかった「故郷の復興」という想いが、濁った道路の雪解け水のようにスーッと流れていったのです。
今回地元に帰ってきたのは、彼に会うためだったんじゃないかとさえ感じました。あまりの衝撃で、夫婦喧嘩のことなんてスポーンとどこかへいってしまったかのよう。
けれど、一つの心の淀みが解消されると、不思議と夫婦喧嘩の本当の根本原因が見えてきたような気がしたのです。
それは、今回昇華できた僕の「復興」への満たされない想い。自分自身でも気づくことのなかった無意識下のわずかな澱みがすれ違いを生み、それが積み重なって表面化し、離婚に発展しかけた年末の夫婦喧嘩につながったのでした。
それに気づいた時には彼におごってもらったコーヒーはすっかり冷めてしまい、胃にまで清涼感が伝わるような気持ちのいいぬるさの不味いコーヒーになっていました。
ぬるいコーヒーの温め方

先日、僕は幼稚園の絵本コーナーで絵本と紙芝居をせがむ娘にいくつかのお話を読んでいました。騒がしい幼稚園内で、目の前の子どもたちの耳に届くように読むためには声を張らなくてはいけません。何作か読んでいるうちに僕の喉はカラカラになってきて、
「コーヒーもらってくるからちょっと待ってて」
と中座し、二階へ。
戻ってくるとそこには娘の姿はなく、絵本の前でちょこんと待っていたのは1歳半の息子だけ。彼はとても敏感でした。年末、我が家がファイトクラブと化していた頃は、
「パパのところへおいで」
と言っても、首を振るか、それとも
「パパ、ない!」
と振られるか。ママ派閥の彼はずっと妻にべったり。
彼は彼なりに空気を察し、母を守ろうとしていたのかなと考えていました。もちろん、その態度に僕はとっても寂しかったのですが。
今やそんな彼が僕を待っていてくれ、しかも自ら膝の上に座って本を所望してくるとは・・・!僕は嬉しくなり、
「待ってたのか?じゃあ、読むか」
と息子を抱っこしながら読み聞かせました。
一冊読み切る頃にはコーヒーもだいぶぬるくなっていましたが、彼はもっと読んでと言わんばかりの態度だったので、新しい本を取りに席を立ちました。
息子の好きなノンタンの本を持って戻ると、不用意に置いていたマグカップに口をつけていたではありませんか!
「あーー!それはコーヒー!」
一瞬慌てましたが、飲んでしまったものは仕方ない。初めてのコーヒーにさぞかし苦そうないい表情をしているのではないか、カメラを起動し、期待に胸を膨らませて彼の顔を覗いてみると、けろっとした顔でさらに飲もうとしていました。さすがに二口目は止めました。けれども、そこでハッとしたのです。
「ぬるいコーヒーでも不味い以外の反応があるものだ」と。
ぬるくなってしまったら、そのコーヒーはもう飲めないのでしょうか?
それとも不味くても我慢して飲めばいいのでしょうか?
僕は、もう一度二階へ行きました。
そしてコーヒーチケットを手に取り、熱いコーヒーを継ぎ足しました。淹れたてのよりは熱くないかもしれない。でもぬるいままのコーヒーよりは美味しい。
一度ぬるくなってしまった夫婦関係をまた一気に熱くすることはできないけれど、温めなおすことはできるのではないかと思います。継ぎ足してもいいし、電子レンジでチンでもいい。ポカポカする今の自分たちにちょうどいい温度に調節していきたいなと思っています。はい、温めなおしは現在進行形でございます。
終わりに
このコラムを綴ったのは2019年でした。3年前のことです。夫婦の問題はどちらかが一方的に悪いということはなく、それぞれに課題を抱えています。
それは実は非常に奥深くにしまわれていることもあり、自分自身でも気づかないことがあります。
自分とは何者なのか
どんなふうに育って、何が好きで何が嫌なのか
なぜ妻とぶつかってしまうのか
自問自答を繰り返して見える部分から無意識の部分へと掘り下げていくことが必要だったなと今振り返っても思います。しっかりと内省をしているからこそ、何かの導きとしか思えない出会いや気づきが生まれてモヤモヤが昇華されていく。
夫婦関係悪化の要因が「え?そんなところに?」ということがあります。最悪の事態を迎える前に、自分とは何か、修行僧のように内省をすることをおすすめします。
夫婦関係についてはこちらの記事もご参照ください。
