この連載について キーボードの打鍵感を「湖池屋スコーン」と「無重力ボール」という自分の言葉で定義して、100点満点の採点表をつくり、実際に買うまでを書いています。全4回+番外1回。専門知識がなくても読めるように書いたつもりです。この記事はその1回目です。
- #1 湖池屋スコーンみたいなキーボードが欲しい(この記事)
- #2 湖池屋スコーン評価表を全部公開する
- #3 候補を採点したら、犯人は思っていたところにいなかった
- #4 13,500円の買い物を、600円で確かめることにした
- 番外 コピペをすると、貼り付けが三回になった
紙の手ざわりを言葉にする、という作業を毎日しています。
「この紙は嵩があって、めくったときに音が立たない」「この銘柄はインクの乗りが素直で、写真の暗部が沈まない」。そういう話をしています。
それなのに、自分のキーボードのことは「これ良い」としか言えませんでした。
その話を書きます。
左のCtrlキーが先に辞めた
長く使っていたのは Microsoft Sculpt Ergonomic Keyboard(マイクロソフト スカルプト エルゴノミック キーボード)です。真ん中が山のように盛り上がって、キーが左右に分かれている、あの独特な形。見た目はふざけていますが、手首の角度が自然で、慣れると戻れなくなります。
メカニカルではありません。パンタグラフとメンブレンを組み合わせた薄型のキーボードなので、「何軸か」でいえば軸なしです。押し心地は浅くて柔らかい。
ある日から、変な挙動をするようになりました。
コピペをすると、貼り付けが連射される。一度貼ったつもりが、同じ文章が三つ並んでいる。Ctrlを押して離してからAを押すと、なぜか全選択になる。
設定を疑い、電池を替え、レシーバーを挿し直し、エアダスターを吹きました。どれも効きませんでした。内部の接点が寿命だったわけです。
文章を打つ仕事なので、貼り付けが勝手に増えるのは地味に致命的です。買い替えを決めました。

そして今のキーボードを買った
次に選んだのが CORSAIR K70 RGB TKL Champion Series(コルセア K70 RGB TKL チャンピオンシリーズ)です。スイッチは CHERRY MX Speed Silver(チェリー MX スピード シルバー)、通称「銀軸」。アルミ筐体で、テンキーがなく、日本語配列。
銀軸というのは、CHERRY のリニアスイッチのなかでも反応する位置が浅いものです。公式仕様では作動点1.2mm、総ストローク3.4mm。深く押し込まなくても入力される、速さ重視の軸です。
これが、悪くないんです。
打つとスコンと入って、カツンと止まる。底に当たった瞬間が明確で、ぐにゃっとした逃げがない。アルミが硬いので、打鍵が筐体の中で吸われずに、そのまま指へ返ってきます。
RGBが七色に流れるのはどうでもよかったので単色に固定しましたが、その設定に辿り着くまで三十分かかりました。単色にするだけの機能を宝探しのように隠すのは、何かの嫌がらせだと思います。
ただ、一日打っていると指が疲れる。
悪くないのに疲れる。
この状態がいちばん厄介です。壊れているわけでも、安物でもない。むしろ気に入っている。それなのに夕方には指のつけ根が重い。不満の輪郭がぼやけているので、次に何を買えばいいのかが決められません。

店頭で、何も言えなかった
量販店のキーボード売り場に通いました。展示機を片っ端から叩いていく、あの怪しい客です。
そこで、自分の語彙の貧しさを思い知りました。
触れば良し悪しは分かる。「これは良い」「これはいや」が即座に出る。ところが、なぜ良いのかが言えない。店員に「どういうのをお探しですか」と聞かれても、「軽くて、こう、スパッといくやつ」としか答えられない。説明ではなく、擬音です。
紙の話なら、私はいくらでも喋れます。四六判の連量、嵩高、白色度、繊維の方向。感覚に対応する語彙が業界にあるからです。
キーボードには、それがなかった。
赤軸、青軸、茶軸という分類は、色で分けているだけで、感触の語彙ではありません。同じ赤軸でも機種によって別物に感じる。カタログの「45g」という数字と、指が受け取る印象が、まるで結びつかない。
数字は読める。感触も分かる。その間に橋がない。それが問題でした。

湖池屋スコーンと無重力ボール
橋を架けたのは、理屈ではなく比喩でした。
ある機種を叩いたとき、口から勝手に出たんです。
「これは湖池屋スコーンだ」
あのスナック菓子の、サクッと軽くて、噛んだ瞬間に歯切れよく割れる食感です。粘らない。引きずらない。短い。
嫌いなほうにも名前がつきました。「ニューーーン」です。押し込むほど重くなって、奥で粘って、指が押し返されてくる。あれを長時間やると疲れます。
そしてもうひとつ、決定的な語が出ました。
無重力ボール。
押し始めから底まで、重さが変わらない。押しているというより、指を置いたら勝手に落ちていく。無重力空間でボールを押したときのような、抵抗のなさ。
これがいちばん欲しいものでした。
どうかしている語彙ですが、この二つが出た瞬間に、探し物の形が決まりました。
私が欲しいのは「軽い軸」ではありません。無重力に落ちて、湖池屋スコーンみたいに着地するもの。二つは別の条件で、片方だけでは足りない。
軽いだけで着地がぽふっとしていたら、無重力ではあってもスコーンではない。カツンと決まっても押すのが重ければ、スコーンではあっても無重力ではない。
今使っている一台は、後者でした。着地は最高で、無重力ではなかった。

比喩を数字に翻訳する
ここからAIに手伝ってもらいました。やったのは、比喩を測れるものに降ろす作業です。
「無重力ボール」を分解すると、こうなりました。
- 押し始めが軽いこと。35gあたりまで。低いほどいい
- 押し始めと底とで、重さがなるべく変わらないこと
- 途中に引っかかりや粘りがないこと
- ダンパーで押し返してこないこと
「湖池屋スコーン」のほうは、こうです。
- 底に当たった感触が明確で、丸くないこと
- 筐体が硬く、着地が逃げないこと
- 音が短く乾いていること
- 戻りが速いこと
並べてみれば当たり前ですが、全部測れる項目です。カタログに載っている数字と、載っていない構造の話に分かれるだけで、感覚そのものが神秘だったわけではない。
紙で毎日やっていることを、キーボードでやっていなかっただけでした。
そして分かったのは、私の好みが「低荷重・短ストローク・低摩擦・硬い着地」の四点セットだということです。「とにかく軽いキーボード」を探していたら、静音タイプの柔らかいものを買って、また失敗していたはずです。

採点表をつくった
条件が言葉になったので、採点表にしました。100点満点です。
- 無重力ボール感:45点
- 湖池屋スコーン感:30点
- 疲れにくさ:15点
- 実用性:10点
そのうえで、総合点だけでなく、無重力とスコーンの内訳を並べて書くことにしました。
これが効きます。
同じ総合80点でも、「無重力42・スコーン18」と「無重力25・スコーン29」ではまるで違う製品です。前者は軽いが底が丸い。後者はカツンと決まるが重い。総合点だけ見ていると、この差が消えます。
自分の感覚に点数をつけるのは気恥ずかしい作業でした。ただ、やってみると店頭での挙動が変わります。触ったその場で「これは無重力40、スコーン18」と言える。すると買うかどうかを自分で決められる。
紙の見本帳をめくるときと、同じことをしているだけでした。

AIが前言を撤回した日
途中、印象に残った場面があります。
理想のスイッチとして、押し始めから底まで重さがほぼ変わらない磁気式のものが候補に挙がり、AIは「これを載せられるのはこの製品だけです」と断言しました。私はそれを信じかけました。
ところが次のやりとりで、AIのほうから訂正が入りました。
「先ほどの説明は誤りでした」
正式に対応が登録されている機種と、規格上は使えて自分で調整すればいい機種とを、混同していた、と。
これは大事な場面でした。
AIに相談していると、断言をそのまま持って買い物に行きたくなります。実際には、こちらが写真を出したり条件を足したりするたびに、答えは動く。AIは賢い神様ではなく、情報が増えると意見を変える相手です。むしろ変えないほうが怖い。
今回いちばん役に立ったのは、正解を教えてもらったことではありませんでした。私の「スコーン」を数字に翻訳したことと、そのあと自分の翻訳ミスを認めたこと。この二つです。

それで、いま何を使っているか
まだ同じキーボードを使っています。
二週間かけて候補を集め、スペックを並べ、採点表までつくって、買い替えていません。
ただ、これは足踏みではないと思っています。
採点表の上で、今の一台は真ん中あたりにいます。着地の項目はいちばん高い。ぐっと沈んでいるのは、押し込んだときに重さが変わっていく、そこだけでした。
つまりこの一台は失敗した買い物ではなく、「私は着地の硬さが好きで、押し込むほど重くなるのが苦手だ」という二つを切り分けてくれた測定器でした。
壊れたあといきなり理想の一台に当たっていたら、今も「なんか良い」としか言えていません。悪くないのに疲れる一台を使い続けたから、好きな要素と苦手な要素が別々に見えた。
次に何を買うかは、まだ決めていません。
ただ、以前と違うことがひとつあります。次に店頭であの列の前に立ったとき、私はもう「これ良い」とだけ言って帰らない。無重力が何点で、スコーンが何点か。それを言えるようになりました。
たかがキーボードにここまでやるのか、と自分でも思います。
ただ、紙の手ざわりを毎日言葉にしている人間が、一日に数千回さわる道具の手ざわりを言葉にしていなかったというのは、それはそれで間抜けな話でした。
次回は、この採点表の中身を全部公開します。お使いのキーボードにも、そのまま点数をつけられる形にします。
スコーン打鍵感計画
- #1 湖池屋スコーンみたいなキーボードが欲しい(この記事)
- #2 湖池屋スコーン評価表を全部公開する
- #3 候補を採点したら、犯人は思っていたところにいなかった
- #4 13,500円の買い物を、600円で確かめることにした
- 番外 コピペをすると、貼り付けが三回になった
上から順に読むと、私が何を勘違いしていたかが分かります。

