不登校はつらいことじゃなくて最先端教育。夫婦で乗り越えるための3つの考え方
Twitterなどを見ていると
子どもの不登校について
随分とネガティブな意見が目に入ります。
子どもが学校に行ってくれない
不登校でつらい
気持ちはわかります。
僕も学校へ行くのは当たり前であり、
理由もなく学校を休むなんてとんでもない
と言われて育ってきた世代です。
我が家も娘が小学校に行っていません。
でも、それがつらいかと言われれば
特段つらいわけではありません。
子どもが不登校だとしても
つらくないのは
夫婦でしっかりと考え方を共有しているから
だと僕らは思っています。
子どもの教育に関して
最大の理解者は両親です。
夫婦の意見が割れるからつらくなるのであって
夫婦揃って支え合えれば
不登校なんてそんな大した問題じゃなくなります。
心を軽くしたい方はぜひ続きを読み進めてみてくださいね。
なぜ学校へ行かなければいけないの?を夫婦で話し合う
不登校になってつらい
を因数分解していきましょう。
すると、
周りの子どもたちと違うことが不安
学校へ行かないと将来が不安
というような漠然とした不安が
湧き上がってくるのではないでしょうか。
では、
学校へ行かなきゃ
とあなたが思う理由は何でしょう?
夫婦で話し合ってみることをおすすめします。
本当は違う、義務教育の考え方
学校に行かなきゃいけないのは義務教育だから
と言う方がいます。
国民の三大義務の一つだと習いましたね。
他には納税の義務と勤労の義務です。
これ、義務は子どもに課されているわけではありません。
納税と勤労は当然納得できると思います。
子どもは納税しませんし(消費税などの間接税を除く)、
働くことは制限されています。
となると、教育も同様ではないかと想像ができるでしょう。
教育を受けさせる義務とは、
子どもが学校に行かなければいけない義務ではなく
親が子どもに教育を受ける機会を提供する義務ということです。
子どもの意思で学校へ行かないのは◯
親の都合で学校へ行かせないのは×
となります。
学校へ行かなければいけないという思い込みを取り除く
冒頭でも述べましたが、
僕は
「学校へは行かねばならない」
と教えられてきました。
皆勤賞が素晴らしいのだ、と。
学校を休みたければ熱があることが必須条件でした。
そのため、
どうしても休みたい時は
雨の日は外に出て雨に打たれてみたり、
冬の寒い日にベランダに1時間薄着で出てみたり
基礎体温が高い猫を押さえつけて
体温計を計ってみたりしたものです。
それだけの努力をしてみても
仮病はバレるんですけどね。
ただ、
「学校へは行かねばならない」
と言われて育ってきているので
それが当たり前だ、
それが常識なんだ
と思い込んでしまっています。
こうした親の思い込みさえ
取り除いていけば
ものすごく楽になります。
「学校へ行かない選択肢もある」
と認めてしまえば
少なくとも子どもの不登校によって
親の気が急いたり
心配したり
今日は行くのか行かないのかなど
ヤキモキすることがなくなります。
学校へ行くのは大人のため?
学校へ行かなければいけない
のは実は
大人の都合だったんじゃないか説があります。
今は共働きがスタンダードな夫婦像ですよね。
日中は出勤していて、
終業は早くて17〜18時。
時短勤務でも16時頃。
親が働いている時間、
子どもをどう過ごさせるかが
育児における大きな課題の一つになっています。
放課後の時間は
放課後児童クラブや習い事、
地域の児童館など選択肢もあるのですが
少なくとも日中はどこか居場所がないと困るわけです。
シッターさんや家庭教師などを雇うとなると
相当高額ですからね。
何のために働いているのかわからなくなります。
親が安心して日中働くためには
子どもが学校へ行っていることが大前提となるのです。
そりゃ不登校で家にいるようになると
どちらかが専業主婦(主夫)でもなけりゃ難しいですよね。
どのような働き方をするのか
どのような方法が取れるのかなど
夫婦で話し合って調整してくことが必要になります。
我が家では話し合いの結果
常にどちらかがフリーランスで働き
時間の調整をできるように工夫するようになりました。
勉強なんて嫌いにならなければいつでもできることを夫婦で合意する
学校へ行かないことで
多くの大人たちに聞かれることが
「勉強は大丈夫?」
です。
逆に聞きたいんですが、
勉強、そんなに心配ですか?
なぜ勉強をするのか
勉強はできたほうが良い
というのは誰しも賛成だと思います。
そりゃできないよりできたほうがいいに決まってます。
でもなぜ勉強するのか?
という問いに答えられる人はどのくらいいるのでしょうか。
子どもは勉強するのが仕事だ
とか
将来役に立つから
とか
大人に聞いても結構曖昧な答えが返ってきた経験ありませんか?
大人でもなぜ勉強しなければいけないのか
勉強したほうが良いのかわからないから
深く考えたことがないから答えられないのです。
僕は大学生時代、塾講師のアルバイトをしていました。
その際にやっぱり生徒から聞かれたんですよね。
「なんで勉強するの?こんなの社会で使わないじゃん」
その子とは関数の勉強をしていたと思います。
確かに関数を社会人になってから使ったかと言えば
うーーーん
と唸らざるを得ない。
でも僕はその生徒に問われたおかげで
「なぜ勉強するのか」
を深く考えるきっかけになりました。
僕が導き出した答えは2つです。
1つ目は選択肢を増やすことができること。
勉強ができると
進学先、就職先の幅が大きく広がります。
東大だって慶應だって
誰でも入れるわけではないですよね。
2つ目は頭のトレーニングです。
学校で学ぶ勉強は実社会で使わない内容も多いのは確かです。
しかし、問題にぶち当たった時に
自分の持っているツール(公式など)を
総動員して答えを導き出すというプロセスが重要なのです。
筋トレと同じで
鍛えているから筋肉は裏切らない。
脳力も日々鍛えているから
課題にぶつかっても考えられる。
社会では答えのない課題がたくさんあり
日々それらにぶち当たります。
そうした時に投げ出さずに
考えられる力、トレーニングをしているのだと
僕は考えました。
実体験からこのような話を妻に伝え、
「勉強とは何か」
について合意できたことは大きいと思います。
これがどちらかだけの認識だと
片方は勉強させなきゃ!
とあたふたしてしまいますからね。
子どもを勉強嫌いにしないこと
勉強は
① 選択肢の幅を広げること
② 考えるためのトレーニング
だと定義しました。
そこでさらに重要なことについて
夫婦で話し合う必要があります。
それは、
勉強を強要しない
ということです。
子どもが勉強嫌いになるのは
勉強を強要されるからです。
授業中は大人しくしなさい
予習・復習をしなさい
宿題はやったの?
勉強しなさい
テスト
テスト
テスト
これでは
勉強=我慢するもの
とインプットされても仕方ないですよね。
僕も勉強は仕方なくやるものだとずっと思っていました。
でも、大学生になって塾講師になって
生徒に教えないといけないから
自分も思い出すために中高生の勉強をしなおしました。
すると、解けることがものすごく楽しく感じたのです。
本来、
勉強=楽しい
はずです。
わからなかったことがわかるようになる
できなかったことができるようになることですから。
子どもに勉強を強要しないで
聞かれたら答える
わかったら面白いでしょ
と面白さを引き出すだけで
子どもは勉強が嫌いにはなりません。
勉強が嫌いにさえならなければ
必要になった時、
やる気になった時に
一気に吸収します。
別に学校の進度に合わせなくたって大丈夫。
子どものやりたい!を親がサポートする
不登校だからと言っても
子どもが何にもしなくなるわけではありません。
隙あらば
「暇だ暇だ」
と言ってかまってくるよう要求します。
これをチャンスと捉え、
子どもの好きを伸ばせば良いと
我ら夫婦は考えました。
好きなこと、興味のあることから始めてくれればいい。
飽きたら辞めるし
楽しかったら続ける。
忘れた頃にまた思い出してやるかもしれない。
親ができることって
子どもがやりたいこと
やってみたいことに
チャレンジすることを許すことだと思います。
また、その機会を作ってあげること。
親ができる最大限のサポートをしていれば
子どもはちゃんと成長します。
周囲の目なんて関係ない!不登校こそ最先端だと夫婦で信じる
不登校は現代においてもなおマイノリティです。
多数派は真面目に学校に通っています。
マイノリティはやはり周囲からの視線が痛いですね。
でもそんなの関係ない!
子どものことに集中するんだ!
という強い意志さえあれば大丈夫です。
子どもを守るのは親の役目です。
チルドレンファースト!大人の都合をぶっ壊―す
どこぞの大統領じゃありませんが、
チルドレンファースト
こそ不登校の子どもがいる親に伝えたい言葉です。
学校へ行かせたい
学校に行ってもらわないと困る
僕も大人ですから気持ちはよくわかります。
働かないと家族を養えないし
子どもの学費や食費だって必要です。
でもこれって親の都合ですよね。
子どもが学校に行かなくなるのは
色んな理由がありますが、
子どもとちゃんと向き合って
気持ちを理解するところから始めることが大事です。
大人の都合よりもチルドレンファースト
そう、大人の都合をぶっ壊―す!
アップデートが遅れる公教育
不登校を容認していると
学校を否定している
といらぬ誤解を受けることもあるのですが、
僕は別に学校を否定しているわけではありません。
学校は学校の重要性があり
それに順応できるというのは悪いことではありません。
ただ、公教育機関はその体躯の大きさから
柔軟性に関しては非常に難しい部分があるなとは思います。
はっきり言ってしまうと
時代遅れ
なのです。
タブレットだって
すったもんだした挙句
相当遅れて学校教育に導入されました。
大企業然り
国然り
組織形態が大きいものほど
意思決定に時間と労力がかかるのは当然です。
だからこそ不登校という課題についても
なかなか解決策が見出せずにいます。
不登校の理由は千差万別です。
でも我が子を見ればケースは一つ。
我が子の課題をクリアすれば良いだけ。
国や公的機関が解決できなくても
親だったら解決可能だったりします。
不登校は最先端の理由
タイトルにも書きましたが
不登校こそ教育の最先端である
と僕は考えています。
もちろん、子どもが学校へ行きたい
と言うようになれば
学校へ行かせます。
が、行く意欲もないのに無理に通学させることは
百害あって一利なしだと思います。
勉強が嫌いになったり
学校が嫌いになったり
親が嫌いになったりするからです。
子どもにとってのセーフティゾーンがなくなってしまう。
それならば、
学校なんて行かなくとも
興味があることを体験させ
勉強は楽しいということを
自宅で学べば良い。
社会に出れば
創造性が大事だとか
オリジナリティが必要だとか
言われますが、
そういう個性を伸ばす教育をするのには
学校では限界があるのも事実。
自宅学習で
子どもに合ったカリキュラムを
作れた方が子どもの個性が伸びると思いませんか?
我が家では
Webを活用した習い事を2つ、
他に地元の学習塾と英語教室とに通っています。
外のリソースを使えば
親だけの負担にはなりません。
社会に必要になる人材として育成する方が
子どもの将来のためにもなると僕は思っています。
まとめ
今回のまとめは超シンプルです。
こうした話を夫婦ですること
に尽きます。
本記事には僕の意見を中心に書かせてもらいましたが
これを妻に話して同意を得る
妻の考えも聞いて
方向性の擦り合わせを行うことが大切です。
全くの独断で行った場合、
塾の費用とか
家にいて子どもの面倒を見る負担とか
夫婦喧嘩の火種になりますから。
自分のことで親が不仲になっているのは
子どもにとっても非常につらいことではないでしょうか。
不登校だろうが不登校じゃなかろうが
教育方針について
夫婦で話し合う
合意をする
これが重要なプロセスであり、
それができていれば
例え不登校だとしても
家庭の平和は守られるでしょう。
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